もう少しで17歳だったダルメシアンの介護日記と11歳の雑種犬との日常。
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父の入院生活 (後半戦)
2012-02-22 Wed 22:02
はい、続きです。



術後9日目~退院まで。
術後9日目

いよいよ尿管を取るということで

その前に経過を確認するということでレントゲン室に。

父が一緒に来てくれというので僕もついて行った。

廊下で待ってると何の管も付けていない父がスタスタ歩いて出て来た。

あっという間に管も残っていた傷口の金具も取っ払ってきたらしい。

何にもなくなった父は尿パックをぶら下げていた滑車をぼくに渡すと、

さっさと歩いて病室に。

私服のまま滑車もって歩く僕は目立つらしく気恥ずかしかった-.-;;ひでぇ…


この日は大安だったからまたもお見舞いラッシュ。

やっぱり結構な手術だったか…?と改めて実感。

一度見舞いに来てくれた人が他の人に伝え、

それを聞いた人が来るという連鎖でくる上、

父の親しい友人はまた来てくれるで座る場所もないくらい。

僕はまた休憩所でゲームしたりお年寄りを眺めていた。

この日、僕はようやく付き添い宿泊終了となった。

久々に自分の部屋で寝た。

やっぱり自分のベッドが気持ちいい…けど寒い。。本当寒い。。。



術後10日目

僕は久々に会社に出勤。

本当はこんなに休んだりが続きまくってて許されないことだろうに

みんなご苦労様と迎えてくれて本当にありがたかった。

仕事あがってすぐに夕飯を持って父の病室に行った。

尿管を取ってからの父はオムツと尿取りパッドを使用。

まるでダルだ。

でもその尿漏れはダル以上のもんがあるらしく、

尿がダダ流れだからウロマスターとかいう電気刺激の治療をし、

尿を自分で出す感覚を少しでも刺激するというのを始めたらしい。

陰嚢は見事に収縮したけれど今度はそのせいか痛みが出た。

女性に言わせるとその痛みは

妊娠後の子宮収縮と同じ原理で出る痛みじゃないかと言われた。

『あー…』と父も僕も同じリアクション。

僕らには妊娠経験が無いのでイマイチ分かりませんでした(笑)


家に帰って、ダルの使い残しの尿取りパッドを探しておけと父に言われていたので

ずっと開けてなかったオムツやパッドの入った段ボールを開けた。

使い残しのパッドには僕が貼っていた両面テープが貼ってあって

涙がボロボロ出て来て止められなかった。

ずっと忙しくて泣くほどダルを思うことをしていなかったせいか、

ホッとした気持ちと重なったせいか号泣した。

全然変わらない。

父はこれを普通に使えるんだろうか…

でも逆に父しか使えるような人いないかもとも思う。



術後11日目

夜、仕事上がりに病院へ行ったが父は変わらず元気。

ただ尿は立ち上がるだけでだーっと出てしまうらしく

尿意を感じたらもう出てしまうらしい。



術後12日目

この日は昼食後に外泊として帰宅。

祖父の四十九日が明日だから。

久々の入浴は相当気持ち良かったらしい。

腹の傷を濡らしちゃいけないんじゃ?!と思った時にはもう遅く、

父は思いっきり縫い傷を濡らしていたが何ともなかったらしい。


 後日、看護師さんに「傷口は濡らしてないですよね?」と聞かれ、

 父はすっとぼけて「はい!」と答えたらしい。やっぱり濡らしちゃダメだったんだ…



術後13日目

祖父の四十九日の法要の日。

朝、妙にイライラしている父は先に行く!と言い放って、

自分で運転して先に寺へ行ってしまった。

運転できるほど回復してる父にホッとした。

法要は無事終わったが会食の席が和室。

父はさすがに座れないらしく座椅子や座布団でごまかしたものの

やっぱり患部が痛いらしくいろんな人の所へ回りずっと出歩いていた。

会食が終わるといち早く帰りたいと言い出した父を車に乗せ僕は帰宅。

パッドは満タンでオムツもびっしょりだったらしい。

これには本人もショックみたいだった。

途中でパッドやオムツを取り替えることも考えろと僕は言っておいたのに

過信していたのか父は替えのパッドも持たずに出かけたらしい。

父は風呂に早々入るともう疲れたから病院に帰りたいと言い出し、

送ると早速病院のベッドで昼寝していた。

その後父が友人に電話していたがその会話で、

尿漏れがひどくてよー!と結構あっけらかんとその日の事を話していた。

ショックだったわー!と言いつつ笑ってるので安心した。

症状の酷さにショック受けて鬱病になる人もいるらしいからと

注意して父をみていたが心配なさそうだったから。



術後14、15日目

疲れはあるものの体は至って順調らしく退院日が決まった。

父は手術前に姪にもらった懸賞付きクロスワードの本をやってみたが

言葉や名前が思い出せない、出てこなくて問題が解けないと嘆いていた。

麻酔の影響か、痛みの影響なのか。

みんなそうなんですかね?




術後16日目、退院。

母と一緒に病院へ迎えに行くと

父はしっかりと着替え部屋も片付けてあった。

父も母も周囲への挨拶回り(地元病院だから知り合いが多い)へ。

僕が1人で病室にいると、

じいちゃんの時からお世話になっていたフロア内唯一の男性看護師さんが

挨拶に来てくれた。

まだ若そうなのに僕よりよっぽど落ち着いて穏やかにしゃべる人だ。

そんな尊敬の意味も込めて深々と頭を下げた。

休憩所はこの日も満席状態でお年寄り達がいっぱいだった。

じいちゃんのとこへ通ってた時から変わらないメンツ。

みんな長生きして下さいね。と思いつつ病院を出た。

そして家に着いて荷物を降ろし、

お茶でも飲むかと一息つこうとした所、

訃報。

父の従兄がその日の朝に亡くなった。

お茶を飲む間もなくその従兄の元へ向かうことに。

もう休む時間が本当に欲しいと思った瞬間だった。





その後の父は病院にウロマスターという治療に通院している。

術後20日目にあたる日曜は叔父の四十九日と通夜のはしごをし、

月曜は告別式にも出席した。

相変わらずオムツにパッドで過ごしていて尿のコントロールはできてないようだ。

でもパッドを持って出かけることもするようになったし、

昨日はゴルフにでかけて行った。

天気も良かったし気温も高めで復帰戦にはふさわしい日だったようで、

14人中7位(ハンディキャップはちょっと少なめ)という好成績だったのでご機嫌で、

みんなで飯食ってから帰る!とまで。

思いの外、早く帰ってきたのでどうしたのか聞くと、

『パッドがいっぱいになっちったから帰る!』

と大声で言って帰って来たらしい。

もう尿漏れの事はほとんどネタだ^^;

この尿漏れが受け入れられず鬱になる人もいると聞いていたが、

父の場合は積極的に外出もするしネタにして笑いを取ってくるくらいなので、

心配いらないかな^^



手術じゃなくて放射線治療を勧めるべきだったんだろうかと

術後に後悔したこともあったけど

痛みはまだあるものの今これだけ元気な父を見ていると

これでよかったんだと思える。

ガンは本当に早期発見に限るね。



でも母も父もガンになり、

その看病をした身としては

『もう2度と看病なんてしたくない』

というのが本音かな。



患者本人はもちろん痛い苦しいで本当大変だけど、

周りも本当大変だ。

もう父や母の健康診断やがん検診をさぼらせないようにしよう。

僕も周りに迷惑かけないように

健康診断とかちゃんと行こうと思います。



毎度長い記事ですが、

次回はジルとの日常を書きたいもんですね^^

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